おやき村

画像


あけましておめでとうございます。

昨年の年末にツリーハウス建設候補地の小川村へ行ってきました。

小川村はとても寒かったですが、おやきで有名な「小川の庄」の社長や社員の皆様の人柄に出会い、気持はとても温かくなりました(#^.^#)

「小川の庄」の社員といっても、どうみても70歳以上のおじいさんで、聞くところによると小川の庄では定年がなく、人材のほとんどが地元採用だそうです。

この山奥の小さなおやき村では、お年寄りがとても生き生きしています。

ここにいると、100年に一度の世界的な大不況など心配するに値しないんじゃないかと思えるくらいです。

お年寄りの元気で幸せそうな姿は、若い世代の僕たちに「希望」を与えてくれるんだなぁと感じてきました。

肝心のツリーハウス候補地には、ホストツリーになりそうないくつかの木に目星をつけてきました。
雪解けを待って、改めて視察しにこようと思います。

ツリーハウスの件が無くてもおやき村は大変興味深いところでした。

それでは、今年もよろしくお願いします。

ツリーハウスへの憧れ 「ツリーハウスをつくる」


ツリーハウスをつくる
二見書房
ピーター ネルソン

ユーザレビュー:
ハウツー本じゃなくて ...
わくわくする本子供の ...
夢のある本です!写真 ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ



ツリーハウスの写真集です。
建築士仲間との会話がキッカケでツリーハウスについて調べているうちに見つけました。

「トムソーヤーの冒険」でハックル・ベリー・フィンが住んでいた「木の上の家」は子供の頃からの憧れでした。
子供心に生きた大きな木の上につくる隠れ家の自由で楽しい雰囲気にとても魅力を感じたものです。
でも、いつしか大人になって“建築”にとても近いところで仕事をするようになったのに、ツリーハウスが持つワクワクドキドキ感に出会うことは稀です。
見ているだけでも楽しくなってくるツリーハウスの魅力はそれほど特別なものです。
この本の写真を見ていると、そんな忘れかけていた気持ちがどんどん湧いてきます。

そうだツリーハウスをつくろう!

どこにつくるか、どうやってつくるか何も決まっていないけど、このワクワクする気持ちの先に何か大切なものがあるような気がしてならない。

幸い時間はある(笑)同じ気持を持つ仲間もいる。
ま、なんとかなるでしょう。

来年の課題がひとつできました。「ツリーハウスをつくる!」

アジアンレリーフ

画像

12月のシーンデザイン一級建築士事務所のTop Page Photo

シーンデザイン事務所の玄関には、以前関わった店舗改装設計の際に不用品として頂いたレリーフが飾られている。

厚さ約25ミリのチーク材を透かし彫りして、植物や花をモチーフにした緻密な模様のレリーフである。最近はアジアンテイストな店舗でもよく見かける。輸入雑貨店やネットでも手に入るこうしたレリーフを壁に掛け観葉植物でも添えれば、どんなに無機質な空間もたちまちリゾートっぽい雰囲気を醸し出すことができる。

建築が既定する床、壁、天井の面積に比して明らかに小さなレリーフは空間の質を変えてしまうほどの圧倒的な力を持っている。つまりその力は物量に比例するものではないのである。では何に由来するのか。

僕たちは見るからに大変な数の人の手が加えられていそうなものや長い時間を費やしてつくられたものであることが明らかなものを無批判に評価してしまう。同時にそのレリーフにまつわる由来や歴史、ゆったりとした時間の流れを勝手に想像し、感じ取ってしまっているからだとも思う。

建築は工芸品ではないし、同じようなコストを掛けるわけにもいかないけれど、工業製品でもないはずだから、きれいにまとめ過ぎず、もっと人の手が加えられた痕跡をわかりやすく残すことが豊かな空間をつくりだす秘訣じゃないだろうか。

「勝手に木遣(きや)り団」結成

画像

先日、(比較的)若い建築士仲間の雑談から始まった企画が始動しました。
その名も「勝手に木遣り団」?!

「木遣り」とは、元来大きな木材を曳き出す時の音頭やかけ声として生まれた労働歌です。
現在でも、建築行事や結婚式など慶祝時に唄われていたりしますから、どこかで一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

特に、北信地方で唄われている木遣りは「善光寺木遣り」で、善光寺造営にかかわる用材の運搬時に唄われたと伝えられ、寛文六年(1666)、宝永四年(1707)、善光寺再建時に、江戸棟梁によって伝えられていたものが口伝で今日まで唄い継がれたものとされています。
善光寺木遣りといっても、職人によってバラバラだったようで、それを統一するために29年程前に「善光寺木遣り保存会」が発足し、「善光寺木遣り」は平成3年に長野市指定無形文化財として登録されています。

私たち建築士も、建て前や竣工式などの建築行事などで、時々木遣りを耳にすることがあったのですが、最近の現場では木遣りを聞くことがほとんどなくなりました。
そんなことを話しているうちに、だったら自分たちで唄っちゃおう!と、先ずはメンバーが間近に控えた結婚式の余興として木遣りを唄うことを目標に、木遣り団を結成したのでした。

各自木遣りの録音テープを聞いて練習を重ね、なんとか独学のにわか木遣りですが、唄えるよう練習をしています。そのうち「善光寺木遣り保存会」の方に本格的に木遣りの指導を受けなきゃなと思いつつ、

“もっと木遣りを身近なものにする”

をテーマに活動していこうと考えています。

そこで、建て方や竣工を控えている現場で木遣りに興味がある方!いらっしゃいましたらご連絡ください。スケジュールが合えば木遣り団が出張木遣りを唄いますよ。

岩村町の蔵

画像

11月のシーンデザイン一級建築士事務所のTop Page Photo
岐阜県恵那市岩村町は江戸時代に東濃地方の政治、経済、文化の中心として栄えた城下町。現在は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、城下町として形成された町の形態と近代の発展過程を伝える町屋群が一体となっていて、東濃地方の商家町として特色ある歴史的景観を色濃く伝えている。

写真はその岩村町で見かけた蔵屋根の軒先。よく見ると軒のラインが少し起(むく)っているのがわかる。垂木がヘタってしまって軒先の両端が下がっているのかとも思ったが、全体的にきれいに起くっているので、わざわざこのような形にしたのだろう。しかもこの屋根は蔵にはめずらしい方形(ピラミッド型)をしていて、当然棟の四辺も起くっている。イメージとしては骨が4本のビニール傘を開いた時の形とでもいったらよいだろうか。見た目には優しい表情の屋根形状は、かなり難しい技術(というか面倒くさい事)を駆使していることがうかがえる。

優しく街並みに溶け込んでいるこの屋根は、そのデザインを普段誰にも気付かれる事もなく佇みながら、それでいてこの町の景観を印象付ける大事な要素になっていました。マニアックだけど、こんなデザインが好きです。

奥祖谷の民家と集落探訪その1

画像

第51回建築士会全国大会は徳島での開催。
幾つか企画された地域交流見学会(エキスカーション)の中でも、こんなことでもなければ絶対に行かないような「秘境奥祖谷(いや)の民家と集落探訪」に参加してきました。

長野からすべて陸路で移動したので、先ず徳島まで約7時間。一泊して、徳島からバスに揺られて約2時間半をかけてようやく辿り着いた奥祖谷は人の手が入らない大自然が大迫力でした。

この地方の集落には、その昔平家の落人が源氏に追われて、ここまで逃げ延びてこの地方に住み着いたという平家伝説が残っています。

奥祖谷といえば、かずらで作った「かずら橋」が有名ですが、このかずら橋は平家の落人が源氏の追手を防ぐため、いつでも切り落とせるように「しらくちかずら」で橋をつくったと伝えられています。ということは、ここまで源氏は平家を追っかけてきたということ!?で、つくづく昔の人の精神力と体力の凄まじさに感心してしまう。
画像

こんなところまで平家を追っかけてきたものの、自分たちも帰るのが嫌になって源氏だって住み着いたんじゃないだろうか。そう思えるほどの”秘境”です。

地盤調査

画像

住宅の地盤調査を行いました。
スェーデン式サウンディング試験という地盤調査の方法としては最も簡便に許容地耐力を確認できる調査です。
この調査をもとに地盤改良の有無や方法、基礎形状を検討していきます。

スェーデン式サウンディング試験は費用が安価で試験時間が短くて済み実用的ですが、詳細に土の性質などが調べられない難点もあります。本来地盤調査は詳細に土の性質まで調べたいところですが、荷重が軽い住宅の調査はこれで十分な事が大半です。

今回の敷地は水田を宅地にしたところ。
そんな敷地の履歴も基礎の検討に際して重要な判断材料になります。

写真は、自動式の地盤調査を行っているところ。
貫入状況はストン、ジンワリ、ストン、ストン、ストン、ストン、ストン・・・
う~ん,慎重に検討していきます。

緩やかな企業のつながり

コラボレーションという言葉は一般的にもかなり浸透してきている。
最近ではモスバーガーとミスタードーナッツのコラボしたモスドが記憶に新しい。
我々建築設計の業界では古くから外部の構造設計者や設備設計者との共同作業(所謂コラボ)をすることが多く、最近ではインテリアデザイナーや照明デザイナーなどとのコラボで仕事するケースが少なくない。

これは、「お互いの持っているものを利用し合って手を組みましょう」的な展開なのだが、最小ユニット単位でスポット的に扱われる場合が多い手法でもある。

対して、これからの新しいブランド開発の手法として注目されているのが「プラットフォーム型のブランド」らしい。
この【プラットフォーム・ブランディング】という手法は、一つのテーマをプラットフォームに見立て、このテーマに共鳴する企業がアライアンスを組む。資本の提携関係を持たず、緩やかな企業のつながりをもって全体としてブランディングしていこうという手法だ。

例えば「暖かい家づくり」というテーマを設定して、そのカテゴリーに特化した専門企業が商品やサービスを開発して連携していく。1社では弱いブランディングを数社集まることによって大きな力にしていく。面白いのは製品企業とサービス企業が同じプラットフォームで展開できるから、新しい流通の開拓に繋がっていくのではないかというところにある。

最近このプラットフォーム・ブランディング的なことを意識的に試みる機会があった。
ある企業からの当事務所への申し出から始まった案件だったが、残念なことに途中でお断りすることとなってしまった。(実際には私が勝手にこのブランディング手法を思い描いていただけなのかもしれない)

お断りした理由は、どのように「ブランド認知」してもらうか?どのように、ばらばらではなく「一つのブランドとして消費者とコミュニケーションするか?」という最大の問題を棚上げにしたまま時間的な制約から消費者に誤解を与えたまま作業を進めざるを得ない状況になってしまったからだった。根気よく続けていれば見えてくることもあるかと思うが、ベースが揺らいでしまっては迷惑をかけることにもなりかねないので今回は・・・。

閉塞感いっぱいの建築業界だから、まぁこれに懲りずいろいろな展開を模索してみようと思う。

でしゃばりすぎないこと

画像

10月のシーンデザイン一級建築士事務所HPの Top Page Photo 
雨が似合う建築は魅力的だ。特に日本には雨が似合う建築が多いと思う。

たとえば京都の古い町並みなどは雨がよく似合うと誰しも思うだろう。
宿場町や城下町、寺社建築など雨の似合う建築といって思い浮かぶのは、なぜ古い建物や街並みなのか。雨が似合う建築には、そこはかとなく漂う上品で優しい色気のようなものがある。それがとても日本的で美しいと思うのである。

“雨やどり”という言葉があるが、この言葉からは容易に深い軒の出が連想できる。さだまさしの歌ではないが“雨やどり”という行為が人の想いや行動、はたまた人生の岐路に結びついていくことだってあるかもしれない。“雨やどり”がし易い雰囲気も重要だが、“雨やどり”ができるという屋根の存在が建築と人とを結び付けた様々なシーンを連想させる。

逆に、常に悪天候から人を守るために歩道を全てアーケードで覆ってしまったとする。そうすれば雨に濡れることもないが、同時に“雨やどり”という行為もなくなってしまう。雨に濡れない為には合理的であるかもしれないが、ちょっと寂しい。

そう考えると、雨が似合う建築は、人の営みの背景に溶け込みながら出しゃばり過ぎない優しさをもっていると思う。

西の魔女が死んだ

「西の魔女が死んだ」は主人公のまいが、西の魔女ことおばあちゃんのもとで過した、ひと月あまりの生活を綴った物語です。物語の全体に流れる空気感がとても居心地がいい。テーマのひとつである死についても清々しさをともない、そして深く心に染み入ってきます。登場人物であるまいやおばあちゃんの生活と自然や建物、道具との密接な関わりが、たとえ詳しい描写が無くともシーン毎の空間が細部までイメージできる世界観をつくり上げています。何度も読み返したい一冊です。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)
新潮社
梨木 香歩

ユーザレビュー:
心が疲れた時、大変癒 ...
書店の薦めで読んでみ ...
不覚にも・・・。短編 ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ


人工と自然

画像

Scene Design 9月のTop Page Photo

理屈抜きで気持のよい風景。

ここで問題。
この写真に写るものに、人工と自然の境界線を引くとしたらどこ?

合掌造りの集落は人工or自然?
田んぼは?水路は?庭先に植えられた木々は?里山は?

人の手が加えられていないものは、きっと「空」だけ。

「人間も自然の一部だ」という答えは問題をすり替えている。
こうした田園風景も古都の町並みも都会のビル街も人がつくりだした。

心地よいと思う風景は人工と自然との混ざり具合が大きなポイント。

白川郷合掌造り集落

画像

建築士会の研修会で白川郷合掌造り集落に行ってきました。
今なお600人を超える人々が暮らす世界遺産は、
さすがに見ごたえがありました。

中には築数百年といった合掌造りも有り、
建物に施されたいくつもの工夫と、
先人の知恵と建築技術の高さに驚いた。

特に茅葺屋根の耐用年数には、
いろりの煙が大事な役割を果たしているといった、
人々の日常生活と建物の寿命が密接に関わり合う仕組みは、
現代住宅においても考えていくべきテーマじゃないかと、あらためて思う。

模型は建設のシュミレーション

画像

設計を進める上で、模型製作はとても大事です。
ボリュームやプロポーションなど、
模型を手にとって様々な角度から眺めてみると、
いろいろな事に気が付きます。

でも、模型製作で一番大事なのは、
模型をつくる過程です。

僕は模型をつくる前に、製作手順と、
組み合わせる材料や加工の仕方などを、頭の中で組み立てます。
頭の中で、ある程度くみ上げられたら一気に模型をつくります。

その時、如何に効率よく、少ない材料と少ない手順で組上げられるかが最大の関心事です。

画像

↑こんな風に建物が複雑なほど、そんな事を考えます。

大抵、模型でつくりづらい部分は、本物も施工しづらいものです。
施工しづらいものは、仕上がりが悪くなる可能性が高いと言えます。

そんな風に考えながら模型をつくれば、設計や現場監理で問題になりそうな部分が見えてきます。

CGはかっこいいけど、建築の検討は、やっぱり模型が一番。

管理建築士資格取得講習

受けてきました。
「管理建築士資格取得講習」
9:30~17:30までみっちり。

平成20年11月28日から新しい建築士制度がスタートします。
この法改正にともない、管理建築士の要件が強化され、
管理建築士になるためには、今回のような講習を受講し、
終了考査の試験を受けて合格しなければならないことになりました。
(今日の講習はいわゆる”みなし講習”)

姉歯事件以降、様々な改正がなされる法律。
建築士の業務は増える一方です。。。

稲田昭子 和紙人形展

画像

叔母の稲田昭子さんが和紙人形展を開催することになりました。
飯山で和紙店を営む傍ら、趣味でつくり続けた人形は70体程。
温かくやさしい表情の人形は素材に手漉き内山紙を使っています。
誰にとっても、きっと、なつかしい情景に出会えます。
是非見に来てください。

稲田昭子 和紙人形展
-手漉き内山紙と私-
開催期間:9月3日(水)~9月14日(日)
【入場無料】休館日:9月9日(火)
会館時間:午前10:00~午後5:30
会場:中野陣屋県庁記念館
長野県中野市中央2-4-4
TEL/FAX:0269-23-2718

”食”と”住”

8/22はTOiGOで美谷島健さん主催のまちづくりミーティングに参加。講師は信州自然村代表の飯沼氏
8/23は塩尻の長野県林業センターで開かれた信州木造塾に参加。

この二つの講演を聞いて、たまたま“食”と“住”について同時に考えを巡らすこととなった。

僕らが設計で“住”を考える時、食堂や台所など“食”にまつわる事を考えることは当然の事だ。(“衣”についても同様である。)でもその時僕らは“食”の何について考えているだろうか。機能的に使えるキッチン。十分な収納。楽しく食事ができる雰囲気の食堂。料理がおいしそうに見える照明。等々・・・。

だけど、“日本の食糧自給率を上げるためには”とか、“どうしたら地産地消などの食生活改善運動に貢献できるか”といった視点から“住”を考えることはあまり無かった。
でも、一般の個人住宅で扱うには問題の対象が大きすぎると思える事柄も、一人ひとり個人が地球の環境問題を考える時代、全く無関係でもないだろう。

考えてみれば、いきなり地球の環境問題を個人住宅に持ち込むような話より、もっと身近な“食”から建築を考えてみた方が、案外“エコ”につながるような気もする。

百貨店と遊園地とお稲荷さん

画像

僕は前事務所在籍中、問御所のそごう跡地の再開発に一担当者として関わっていました。現在のTOiGOです。

そごう(丸光)建物解体撤去から現在のTOiGOが完成するまでの一部始終を見ることとなり、長野の中心市街地の大きな転換点を体感することにもなりました。

資料によると、解体されたそごう(丸光)デパートは昭和32年に4階建ての百貨店として開店し、34年に5~7階を増床した建物で、そのころには既に、屋上に遊園地が常設されていたそうです。1970年生まれの僕にとっても、子供のころの思い出として残る丸光デパートの屋上遊園地は子供達に大人気でした。

そして、僅かに残る記憶。否、忘れていた子供の頃の大きな心の動きを、この再開発の仕事は思い出させてくれました。

そごう(丸光)屋上に祀られていた「お稲荷さん」です。

デパートの屋上にお稲荷さんがあるのは、商売繁盛、家内安全を祈願する屋敷神を祀る伝統に則したもので何も特別な事ではありません。しかし、子供心に近代的なデパートの屋上、しかも遊園地の一角にあるお稲荷さんのことを、「遊園地」と「稲荷神社」という対比的なイメージから、印象的なシーンとして今でも思い出すことができるのです。

残念ながら、現在このお稲荷さんは、建物撤去の際に魂抜きのお祓いをしていただいて、この再開発事業地内で、皆の目に触れることができる場所に屋敷神はいません。(TOiGOに入る各テナントや事業者が祀る神様はいるのかもしれませんが。)

僕は、特別な宗教心や信仰心があるわけではありません。また、古き良き時代の…等というノスタルジックな気持ちでもありません。でも、なんとなくこのプロジェクトに関わっている間中、心のどこかで気にかかる事柄でもありました。

それは、初めて経験する“再開発の現場”が都市の多様な考え方や思いを画一化する作業をしていくように思えたからでもあります。これは、プロジェクトに対する批判ではなく、そうせざるを得ない状況も多々あることで仕方がないことだと思っています。

でも、この地が、古今東西あらゆるものが集まるまさに“百貨店”であり、「遊園地」と「お稲荷さん」が当たり前のように共存する懐の深さを兼ね備えていたことを忘れてはいけないと思うのです。子供だった僕の心にも魅力のあるこの場所は、どんな思いも受け入れてもらえそうな雰囲気を持っていました。一見すると場違いな屋上の稲荷神社は、その象徴でもあったのです。

この再開発とほぼ同時期、当時僕はもうひとつのプロジェクトに携わっていました。大門町の藤屋旅館のリニューアルプロジェクト、現在のTHE FUJIYA GOHONJINです。この大門横町をも視野に入れた老舗旅館のリニューアルとTOiGOを巡る再開発のふたつの案件を担当しながら、時には同じ日に両方の打ち合わせを行ったりもしていました。

いわゆる、まちづくりにはいろいろな方法があるのでしょう。

僕には、まちづくりを語れるほどの知識も実績もあまりないけれど、このふたつのプロジェクトほど対照的なものはありませんでした。どちらも、事業としての成功は企業にとって大きな願いであるし、まちを元気にしたいという気持ちは同じベクトルのはずですが、アプローチは全てが真逆でした。どちらが良い悪いといった話ではなく、同じ時代、同じ地域のまちづくりの一端を担うプロジェクトの意思決定のプロセスが、これ程までに違うものかと単純に驚き、戸惑ったものでした。

TOiGOがオープンして2年が経とうとしています。
最近になって、TOiGO2階でアーキテクトカフェなるものをつくろうとしている美谷島さんとTOiGOについて話をする機会を得て、あらためてそんな事を思い出しました。成り行きで少しお手伝いもすることにもなりましたが、もう一度いろいろなことを考えるキッカケにもなりそうです。

“和”について考える

画像

シーンデザイン一級建築士事務所HP 8月のTop Page Photo

和して同ぜず(和而不同)
 

この言葉は僕が中学の時の学級目標に掲げられていた言葉です。
その頃は「仲良くしても同じにはならない」といった意味として、“和”とは自分の個性を抑えて全体を丸く収めること・・・ではない。ということを学んでいたと思います。

でも、現代社会の“和”のイメージはどうだろうか。和を以て貴しとなすの“和”のような、衝突や対立を避ける文化のほうがはるかに強く醸成されているような気がする。
ここに、大多数の日本人が持つ“和”に対するイメージの誤解があると思う。
和するとは、一人一人がまず自らの個性を最大限に発揮して、自立すること。つまり一人一人が大きな存在となること、その上でそうした者達が互いに和することを意味するのだと思うし、そうした“和”の精神が日本そのものを指している言葉であるとも思っている。

一方で、建築やインテリアに「和風」という言葉を使うことがある。おかしな言葉だが「~風」ということは“和”のようなニセモノであることを自ら宣言しているような言葉だ。
~風というからにはベースは“和”ではないのである。「洋風」に対して「和風」なのだろうが、そもそも僕たちの立ち位置はどこなのさ!と問いたくもなる。自分の立脚点に自信がもてないが故の~風なのかもしれない。

どちらの話も、現代の日本人が持つ“和”に対するイメージが希薄であることが原因だ。

つまり様式概念化してしまった和風は“和”ではなく、“和”はひとつのスタイルを指し示すものではないと思っている。スタイルとしての和風はつまらないし、僕たちには共感できるものが少ないのだ。それよりも多様な個性を内包しながら各々が他者と協調し大きく和する(大和)ことこそが日本人だからできる、日本を表現する方法のひとつではなかろうか。

もっと“和”な精神をもって建築をつくろう!

写真は、いろいろな要素を同一環境に併存させた「THE KAWABUN NAGOYA」

夏の戸隠神社

画像

今日は、夏休みになった子供とそのお友達をつれて戸隠に行きました。
単に僕が夏の戸隠神社の参道を奥社まで歩いてみたかったのが理由ですが、子供達にも良い思い出になったようです。

特に隋神門から奥社への樹齢300年といわれる杉並木には感動していました。
子供たちの目にも大自然と人間との共存のひとつのかたちを感じ取ることができたと思います。

Co-Active Coaching体験会

ファイナンシャルプランナーの竹内さんが主宰する
Co-Active Coaching(コーアクティブ・コーチング)体験会に出席してきました。

コーチング?という方もいると思いますが、僕も名前は聞いたことがあるものの詳しくは“?”でした。ただ、職業柄コミュニケーションやチームビルディングには興味があったのでコーチングという名前だけは聞いたことがあった程度です。

コーチングとは人材開発のための技法のひとつで、コーチングを受ける人(クライアント)を目標達成に導く「人を育てるための一つの手法」です。

で、今回体験会が行われたのはCo-Active Coachingというコーチングスタイルでした。他のコーチングを知らないので比較のしようがありませんが、講師のひらさん、なべゆきさんの話は大変わかりやすく、とても短い時間でしたがいろいろと気付くことがあるセミナーでした。

長野県で、こうしたCo-Active Coachingが行われたのは初めてだそうですが、会場には50人近くの人が集まり、長野での関心の高さを実感しました。今後コーチングに興味も持つ人が増えて、長野が活気ある人たちで溢れるまちになったら楽しいだろうな。

BESPOKE RESORT

画像


リサーチを兼ねて伊豆のアルカナ・イズというホテルに行ってきました。
たまには難しいこと考えずに、心地よい空間を体感するのも大事です。
(連れて行ってくださった藤井さんありがとうございました。)
天気にもまずまず恵まれて、ゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。

帰り道で、そのホテルのリーフレットにBESPOKE RESORTという言葉を見つけた。
帰宅後BESPOKEの意味を調べてみると、イギリスでオーダーメイドの服のことをさし、元々はbe+spokenが語源で、対話する、話し合うことを意味するらしい。
“既製品ではない”“お仕着せではない”シーンをサービスしますということだろう。

自分の仕事が既製品の寄せ集めや、偏った考え方になっていないか、“BESPOKE”という言葉は、常に心のどこかに留めておきたい良い言葉です。

石庫門

画像

7月のTop Page Photoは、上海新天地の路地、「弄堂」(ロンダン)。
新天地は上海の新しい観光地として今や最先端をいく人気のスポットだ。
上海近代建築で有名な「石庫門」建築を改造し、娯楽施設として2001年にオープンしたのが上海新天地である。“レトロ”と“モダン”の融合は、上海の街の面白さの要因をよく表しているのだと思う。

19世紀末、上海では武装蜂起や農民一揆が相次ぎ、多くの外国人や上海周辺の豪商、役人たちは戦乱を避けるために上海の一角に逃れて避難所を建設した。そして戦乱の終息後もそこに多くの人々がやってきて定住するようになり、1920~30年にその地域に共同住宅が多く建てられた。それが「石庫門」で、枠を石でつくった門があることが名前の由来だという。そんな経緯から「石庫門」建築は、中国文化と西洋文化の双方の影響が見て取れ、様々な文化が融合した独特の雰囲気を持つ集合住宅となった。

ここ数年は石庫門住宅に住む人々が、郊外に造られた新しい住宅にどんどん移住している。「石庫門」はその歴史的使命をほぼ終えたといえる。そんな集合住宅「石庫門」が現代の流行を取り入れたバー、レストラン、ブティックや映画館として、若者を中心に人気の高い商店街へと再生したわけだ。

このように、歴史的建築の「転用」を試みて再生する事例は、「石庫門」を持ち出すまでもなく数多く存在する。「転用」をするということは生産物をそれまでの経済的・社会的組織の諸目的からいったん引き離し、それを再投資することを意味し、同時に既存の欲望をまず解き放つことで、とても自由で期待感にあふれる雰囲気を訪れる者に与えている。結果、上海では多くの人で賑わう魅力ある街並みとなり「石庫門」建築の一部はとりあえず残されることとなった。

最近ではリノベーションと呼ばれる再生の手法も一般に認知されつつあるが、この「石庫門」→「新天地」のような事例をみると確かに楽しい。ただ、カッコよさそう、面白そう、楽しそうといった無邪気な気持ちで溢れている。多分ここを訪れる観光客は「石庫門」建築の時代背景など気にも留めないだろうが、はたしてこれでよかったのだろうか。
古い建築を「転用」して再生すること自体はすばらしいことだと思うが、こうして再生された古建築を見るたびに、その建築の文化や思想までもがきれいになくなっていることに少し違和感を覚える。

童謡コンサートのお知らせ

画像


宮本忠長建築設計事務所在籍中に、ご自宅の設計を担当させていただいた千曲市の田沢さん。奥様の節子さんはなんとCDも出している童謡の作詞家です。

大正7年に創刊された児童雑誌「赤い鳥」の発刊を契機に一大潮流となった赤い鳥運動の理念は「今生きている歌を今生きている子供たちに」というものでした。今でもその理念を胸に童謡の作詞活動をされている田沢節子さん作詞の童謡コンサートが7月に長野県民文化会館で開かれます。芸術味豊かな、子供等の美しい空想や純粋な情緒を優しく育む歌を、ぜひ生で聴いてみませんか。

平成を生きる僕たちにとっても、90年前の赤い鳥運動の理念が現代の子供たちに何を与えられるかを考えるよい契機になると思います。

童謡コンサート
~赤い鳥運動90周年そして童謡詩人田沢節子の世界~
■日時
 平成20年 7月10日(木)
 開場13:30  開演14:00~
■開場
 長野県県民文化会館小ホール
 長野市若里1-1-3 TEL:026-226-0008
■入場料(全席自由)
 大 人2,000円(当日2,500円)
 こども1,000円(当日1,500円)
■出演
 うた 大庭照子 DOYO組
 お話 田沢節子 (長野県出身、千曲市在住。日本童謡協会会員)

○問い合わせ・お申し込み
 童謡コンサート実行委員会 田沢節子
 TEL:090-1547-2335  FAX:026-273-0799

楽しき住家(じゅうか)

画像


約1年前になるが、ある住宅の実測調査をするご縁があり、その住宅の設計者が「西村伊作」であることを知った。「西村伊作」を文化学院の創立者としてご存知の方もいると思うが、西村伊作は大正から昭和初期にかけて日本人の生活改善や住宅改良を訴え幾つもの住宅を設計した建築家でもある。

さて、聞くところによるとその住宅は大正12年に建設されたというから、かれこれ80年近い時が流れていることになる。しかしながら外観を見る限り老朽化はしているものの、その佇まいは今見てもとても美しい。

他の日本の住宅は大正期に入っても、ほとんど江戸期とさして変わらないものであっただろう。
外国人別荘でもなければ大富豪の洋館でもない地方の小さな住宅が、大正デモクラシーの時代をよく表していることに素直に驚いた。政治面だけではなくあらゆる面で今後の日本人のあるべき姿を模索し、個人住宅のような小さなものでも、従来の形式からの改革に真剣に取り組んでいたことが伺える。そして、決して材料や工法が優れているというわけではないこの建物が80年の歳月を生き抜いてきた事実にも目を向けなければならない。

ふと思ってしまう。
最近の現代住宅は、はたして80年間そこに建ち続けることができるだろうか?
劣化対策が進んでいる住宅ならば耐久年数が80年くらいの建物は多いと思うが、本当に80年後そこに建ち続けているかどうかはモノの耐久性とは別問題のような気がする。

80年といえばおよそ3世代に渡る。その家を建てた先代はもうこの世にはいなくて、その次の代も高齢になり孫の世代に引き継ごうかというタイミング。実測調査で住人にお話をお聞きして感じたことは、その家を建てた当時の話を皆がよく覚えていて、それが語り継がれているという事だった。そして皆が家に対する先代の想いを尊重し、多少不便はあっても少しずつ改善しながら大事に家を守ってきた様子が伺えた。結局のところ“人の気持”がこの家の寿命を長くしているのだ。

耐震性能や耐久性や設備の更新性などはとても大事な要因であると思う。でも住む人に愛されない建物になってしまったら建物の寿命はそこで終わりではないかとも思う。

西村伊作は彼の著書「楽しき住家(じゅうか)」でそれまでの封建思想に立脚した住居形式ではなく、家族皆が楽しく暮らせるような家庭生活を重視した居間を中心とする家族本位の住宅を提唱し、自ら建築設計事務所を開設してその普及に努めた。この家の家族が守ろうとしてきたものは建築そのものというよりは、その建築に込められた思想と先代の想いであったのだろうと思う。

アサクリック

画像

6月のシーンデザイン一級建築士事務所HPのtoppage photo
-朝倉彫塑館の中庭-

「アサクリック」とは芸術家 朝倉文夫が書き遺した、彼の建築に対する考え方を表す謎の言葉だ。

朝倉彫塑館はJR山手線日暮里駅西口から徒歩3分、御殿坂を登った谷中墓地近くにある芸術家 朝倉文夫の記念館である。朝倉文夫自身が独創的な発想で設計した建物で、RC造のアトリエや日本庭園、数寄屋づくりの木造建築などが一体となったユニークな佇まいをみせている。この朝倉彫塑館ができるまでの経緯も含めて、館全体が朝倉芸術作品であり、大変興味深い空気感を持つ建築のひとつでもある。

この建築の建設は明治40年の掘立小屋の建設から始まり、昭和10年に現在の姿に至るまでに7回の増改築を繰り返している。その都度、必要用途要求に合わせた異質な要素、材料を併存、統合するプロセスを経て現在に至るのだが、そこには増築を繰り返した老舗旅館のような強引さも、予定調和的なまとめかたも存在しない。まるで、一人の人間の紆余曲折する人生や考え方の変遷を綴った物語のような統一感がある。しかも、さらに驚くべきことは、最後の建設時に館のほんの一部である旧アトリエだけを残し、他のほとんどの部分は新築し直していて、厳密には現在の朝倉彫塑館は増築の重なりによってできたものではないということである。そして奇妙なことに朝倉はその最後の建設を、解体した既存の(それまで増築を繰り返した)姿をそのままなぞるように再現しているのである。

アサクリックという言葉は、朝倉文夫自筆の建設記である「我家吾家物語譚」に記された、この建築への独特な考え方を表すキーワードとして挙げられている。館で配られるリーフレットによれば、この言葉の意味するところは、様々な要素、技術を通常とは異なった方法で組み合わせて、全く新しいものをつくり出してしまう方法「朝倉流技術」という意味らしい。アサクラ+テクニック=アサクリックという造語のようだ。そしてアサクリックが数寄屋文化の代表的な考え方である“見立て”という思想に関係しているとも説明している。

自然の風合いを大切にするいかにもわびた表情をもつ数寄屋建築の独特の素材選択の尺度として使われる「見立て」という言葉。これは日常の何気ないものを設計者の創意によって、全く新しい建築の部分として使ってしまう方法である。数々の奇妙なるものを、いともすずしく同一環境の中に併存させてしまう数寄の作法は、仏教も神道も併存を続けるような非常に日本的な手法でもある。

日本の近代芸術がヨーロッパの直接的な影響によって育てられていた時代に、朝倉文夫は一度も海外に外遊していない。それがこのユニークな思想の源なのかも知れない。アサクリックは単にスタイルではない“朝倉”を表現し、同時に“日本”を表現するテクニックだったのではないかと思う。
写真ではなかなか伝わらないこの空気感を、機会があったら是非体験してみてください。

なんじゃもんじゃ

画像

先日中津川に行った時に教えてもらった“なんじゃもんじゃ”の木。
“なんじゃもんじゃ”とは木の種類にかかわらず、その地方に珍しい、正体不明の立派な木を指すようで、ここ中津川の“なんじゃもんじゃ”は和名「ヒトツバタゴ」というモクセイカ科の落葉高木。雪のような白い清楚な花をいっぱいに咲かせたほんとに立派できれいな木でした。

open! architecture

画像


東京大手町にある「JA(農協)ビル」は、建築家 佐藤武夫によって設計され1965年(昭和40年)竣工した建築である。長野市民の僕たちには馴染み深い「長野市民会館」(昭和36年竣工)も現存する佐藤武夫の代表作のひとつである。その他の作品には早稲田大学大隈記念講堂などがある。その佐藤武夫に師事した建築家 宮本忠長の事務所に3年前まで在籍していた僕としては、勝手にその作風に親近感を持っているのだが、その現存する数少ない佐藤武夫の作品の中の「JAビル」は来年3月に取り壊される事が決定されている。

話は変わって2011年、海外から多数の建築プロフェッショナルが訪れる「UIA=世界建築家会議東京大会」が開催される。この世界的な建築イベントを数年後に控え、日本建築の対外的プロモーションや文化交流を促進するため様々な情報提供や交流の機会が提供されている。 その取り組みのひとつとして、平素なかなか見ることのできない多くの建築物を年1回公開し、多くの方々に訪ねてもらおうというイベントが行われている。名付けて、「open! architecture 建築のまち・東京を開放する」である。

今回、このイベントで「JAビル」が見学できる事を知り、内部見学はこれが最後になるということもあって、先日このイベントに参加してきた。当日「JAビル」の見学には約20名が集まり、先ずはJAビル管理会の方からのこんな挨拶からはじまった。

「普通の事務所ビルですから、そんなに見どころがありますかどうか。。。」

いきなりテンションが下がる。
すかさず、建築史家の倉片俊輔さんが、“見どころ満載ですよ”とフォローを入れてなんとか場を持ち直し、当時の市街地での法規制や経済状況、建物工法や材料などの説明を受けながら各階を廻った。このビル内部での最大の見どころは9階にあるJAホール。客席両側の壁は杉板型枠によるコンクリート打ち放し部分とビシャンで仕上げられた六角形のパターンが印象的なホールだ。冷たい表現になりがちなコンクリート打ち放しに手仕事の跡を残し、同時に音響も考慮した六角形で埋め尽くされた壁は、機能的でそのデザインを主張し過ぎる事もなく、このホール最大の目的である会議やセミナーの成功をそっと見守っているかのようだった。

画像


でも、僕がこのビルのデザインでハッとさせられたのは別のところにあった。それは、廊下の壁にたたみ込まれている防火扉の色である。白い廊下の壁に防火扉の色が赤く塗られている。しかも非常口(潜り戸)が白抜きされているのである。防火扉の上部には白抜き文字で大きく“非常扉”と書かれている。竣工当初からこの色かどうかは定かではないが、最近のオフィスビルや公共建築などを思い出してほしい。たいがいこうした非常時に機能する部分は巧みに隠されたり、目立たなくされたりしているものだ。設計者が隠すことを意識しない場合でも、ほとんどが無意識のうちに廊下の壁と同色の色を塗ってしまっているのではないだろうか。火災時に煙に巻かれながら、非常口を探すことは容易ではないだろう。一面白い煙の向こうに見える赤い防火扉と白抜きの非常口は、その機能を最大限発揮するに違いない。人に対する優しさや思いやり、想像力が感じ取れるデザインに出会えて、建築家 佐藤武夫の思想に少しだけ触れることが出来た気がしてうれしかった。

画像


来年3月にこのビルは解体され、JA諸団体は近くの敷地に現在建設中の新しいビルに移転する。耐震をはじめとする様々な新しい法律や社会的な事情でこうした建築が無くなっていくのは時代の流れとして仕方がないのかもしれない。open! Architectureというイベントが、思想ある建築の消えゆく現場を紹介する形になってしまうのも、「建築のまち・東京」の一つの側面だということだろう。

これから向こう4年間にわたり継続的に開催されるこのイベントが、“古いものを守ろう”ということではなくて、“昔何があったのか、何を考えたのか”を先ずは知るということから始めようとしている点に共感できた見学でした。

中国・四川大地震

倒壊した建物の瓦礫の中にまだ多くの人が生き埋めになっていると思うといたたまれない。しかも、住民の避難場所となる筈の学校や病院が多く倒壊しているのには驚いた。
雨露を凌ぐ場所さえない被災者の不安は相当なものだろう。

日本では1950年になって基準法が制定され、それまで市街地だけで考えられていた建物の安全性が、全国どこで建てる建物についても安全性を確かめなくてはならないことになった事を思うと、中国と日本では耐震に対して60年近く考え方に開きがあるのかもしれない。

今回の大地震で中国は地震が多い国であることを知った。しかし、ニュース映像で倒壊した建物を見る限り耐震に対する認識は薄いようだ。地震が多い国であればなおさら耐震技術に関心があってもよさそうなものだが、そうではなかったらしい。

サイクロンに襲われたミャンマーの人的支援拒否にも言えるが、天災であったとしても被害を拡大させているのは人間の行いである事は切ない。

絵解きを解く

5/9長野県建築士会長野支部通常総会がホテル信濃路で行われました。
第一部の講演会では歴史の町長野を紡ぐ会代表の小林玲子さんによる絵解きの口演がありました。
恥ずかしながら、いままで僕は絵解きを実際に観た事が無かったので、こんなに興味深い文化が身近にあったのかと驚いてしまった。
最初は、まるでマンガの原点のような絵解きの絵に面白さを感じたけれど、絵解きの面白さはどうもそれだけではないような気がする。

ここで、素朴な疑問。

なぜ、「絵語り」ではなく「絵解き」なのだろう。
を読みく」ということなのだろうかと勝手に解釈してみると、面白さの理由がなんとなく見えてくる。つまり、絵解きは大枠のストーリーを与えられるものの、観客が絵を見ながら物語の展開や順序、解釈、エピソードの細部を自分で補間することができるのである。これって今風に言えばインタラクティブアート!?。一方的に物語を聞くだけでは生まれない情報量が絵の中にある。瞬く間に想像(妄想?)の世界が頭の中に広がる。加えて、物語の舞台が自分のよく知る「長野」なのがいっそう面白い。自分の頭の中の地図に新しい意味付けがなされて書き換えられていく感じ。

帰り道、建築士会の何人かと、絵解きに出演していた長野駅前の如是姫像が善光寺の方角を向いている事を確認しつつ、よく知る長野のまちがちょっと違う風景に見えた夜でした。

史上最悪の師匠「ガネーシャ」

画像


夢をかなえるゾウ

ふざけたゾウの絵の表紙につられて不覚にも買ってしまった。
分類とすれば自己啓発本になるのだろうか?
普段、この手のジャンルはあまり読まないけれど、笑いながら読める自己啓発本は珍しいと思う。さえない青年の「僕」とインドの神様「ガネーシャ」の会話は漫才のようで最後まで飽きさせない。でも、その面白さよりも、僕がこの本に魅かれたところは他にあった。

僕は「ガネーシャ」を以前から知っていたからである。
いや、正確には行動や言動が「ガネーシャ」にそっくりな知人を知っていたからである。
まるで「ガネーシャ」はその人をモデルにしたんじゃないかと思うくらい似ている。
そんな訳で僕にとって「ガネーシャ」の言う事に新鮮味はなかったけれど、現実とダブらせながらかなり楽しんで読めました。(どこかで“くしゃみ”してるかな)
ガネーシャ(にそっくりな知人)=神様という設定がかなりウケた。そう、神様なら許せる。

もちろん、知人に「ガネーシャ」がいなくても小説として十分面白いです。

バージボード

画像

シーンデザイン一級建築士事務所の5月のTop page Photo

屋根の妻側で、桁や母屋の小口を隠して風雨から軒先を守る為に付ける板を破風(はふ)板といい、その中でも意匠的に飾りが施された破風板をバージボードという。

写真は明治村にある大明寺聖パウロ教会堂の破風板(ギザギザの板)であるが、宗教施設に限らず明治・大正・昭和初期の建物にはこのバージボードが施されている場合が多い。その頃の建物に出会うとき、意識してこのバージボードを眺めてみると実に多様な形があって面白い。しかも、建築全体のフォルムに比して小さい部材で控え目なデザインにも関わらず、いつもバージボードが建物の記憶として脳裏に刷り込まれる。どうしてこんな形をしているのか?どんな意味があるのか?と考えてしまう。でも、その形に意味がなくてもよいのだ。見た者に疑問符を投げかけることができるバージボードという部分が愛おしいのである。

芸術的、技術的に手の込んだものでなくても単純な形に板を切り抜き、ひたすら連続して張り付けたこの部分には、建物をここにしかない特有のものにしたいという建設に携わった人々の建物に対する愛情すら伺える。バージボードがキッカケで、当時の人々の“想い”に思いを馳せることができることは素晴らしい。それが、歴史認識として正しいか間違っているかはあまり問題ではなく、昔何があったのか“想像”させることが大事だと思う。それが、建築と人とをつなぐ第一歩であるし、こうした部分がたくさんある建築は人々に愛されるのではないだろうか。

記念樹

画像

今日の長野は昨日の冷たい雨から一転、青空に恵まれ気持のよい日曜日です。
今年は娘が生まれた時の記念樹として植えた八重桜が花をつけました。これからも、毎年沢山の花をつけますように。

今年は農業!

画像

信濃町にある親戚の畑を見に行きました。
毎年父が畑を借りて野菜などつくっているのだけど、今年は一緒に農業に参加してみようかなと思ってます。
それにしても広いなぁ。

日曜大工

画像

陽気も暖かくなってきて、本格的な庭いじりの季節を前に、DIYでデッキテラスをつくりました。途中、塗料が足りないハプニングもありましたがなんとか1日で完成。これで、朝は靴を履き換えずに家庭菜園のネギが採りにいけそう。

蔵と梅

画像


朽ちかけた蔵と梅の花。遠景にはまだ雪が残る山々と優しい空の色。
古いボロボロの蔵だけを凝視していると見えないものがありそうで、信号待ちの車窓から見える風景は、様々な時間の流れが一つのフレームの中に収るとても魅力的なシーンでした。

あかりが主役

画像


シーンデザイン一級建築士事務所HP 4月のTop Page Photo

大正、昭和初期の建物を見る時、いつも感心するのが照明器具のデザインである。
現代の建築では如何に照明器具を目立たせないかに腐心している事例が多いが、この頃の建築に現れる照明器具はいつもしっかりデザインされていて、その空間を印象付ける主役になっている場合が多い。電気による照明器具に建築空間の新しい可能性を、めいいっぱい期待している当時の人の気持ちが伝わってくるようだ。どんな建築でも携わった人の思いが感じることのできる建物は面白い。
写真は松本の「あがたの森」にある松本旧制高等学校講堂(大正8年築)のシャンデリア。

根元 八幡屋礒五郎大門町店 新店舗OPEN

画像

工事中から気になっていた、THE FUJIYA GOHONJINの隣にリニューアルオープンした、七味唐辛子で有名な八幡屋礒五郎さんの店舗を見学させていただきました。しかも室賀社長にご案内までしていただいて。(お忙しい中ありがとうございました!)
新しい店舗は、京都の辻村久信デザイン事務所がデザインをされている事は聞いていましたが、中を案内されてその完成度の高さに驚きました。建物の隅々、裏方にいたるまで辻村さんのデザインに対する精神が貫かれていて、一本筋の通った気持のよい建築でした。
辻村さんのデザインは日本の伝統的な軸線上のモダンデザインと紹介される事が多いようですが、実際に八幡屋さんの空間を体験してみると、誠実で理性的な中にも優しさが見え隠れする、かつて日本人が持っていた“気質”のようなものが滲み出ているような雰囲気を感じました。
帰りに、八幡屋さんの新しい商品“しょうが糖”を買って帰りました。これがかなり美味しい。この素朴な辛さと甘さが癖になりそうです。

ミニモダン建築

画像

横浜の街には大きくて立派な近代建築ではなくても、小さくて古い建築を積極的に利用しているところが沢山ある。こうした、設計者・施工者不詳のような建物であっても、大事に使っていこうとする精神が横浜にはあるし、特にミニモダン建築が建ち並ぶ大桟橋へと続く通りは、それがとてもかわいい。なんでも新しく建替えないで、こんな風景が増えればまちにも時間の奥行きができるのに。

横浜客船ターミナル

画像

春休みの家族を連れて、ひさびさの横浜へ。
中華街から山下公園、赤レンガ倉庫、みなとみらいへ抜ける王道コース。
途中、学生時代にコンペで話題だった横浜客船ターミナルビルを見学。
当時、その斬新なデザインに建築を学ぶ学生としては少なからず興奮したものだったが、こうして実際に出来上がった建物を見てみると、ちょっと物足りない感じがした。
建築のプログラムと力学的な構造を、高い技術力で無理やり関連付けた建物は、あくまで桟橋であって建築ではないのかも。そう思えば物足りなさも納得。
それにしても歩き疲れた。普段の運動不足を反省。

JAPAN SHOP 2008

画像


東京ビックサイトで開催しているJAPAN SHOP 2008に行ってきました。

今年で37回目を迎えるJAPAN SHOPはアジア最大級の店舗総合見本市だそうで、とにかく広いし、出店企業もほんとに多い。見て回るだけでも大変なうえに、その都度受け取るカタログを持って歩くのはさすがに疲れた。

でも、なかなか面白い材料や仕上げがたくさんあって良い刺激になりました。
来週からは、さらに郵送でカタログがいっぱい届きそうで、楽しみだけどカタログの置き場所に苦慮しそう。

THE KAWABUN NAGOYAグランドオープン

画像

2008年2月に、シーンデザインが設計監理をした、「THE KAWABUN NAGOYA」(TKN)が名古屋丸の内にオープンしました。写真はメインエントランス部分です。
名古屋城築城の頃からあるという老舗料亭「河文」に隣接するTKNは、いかに歴史ある河文の佇まいと調和しながら新築することができるかが大きな課題でした。
→詳しくはハウスコで。
プロジェクトに関わってくれた方全てに感謝です。ありがとう!

石積み

画像

シーンデザイン一級建築士事務所の2月のTop Page Photo

建築設計図面で、その意匠性を最も表現しにくいのは石積みではないだろうか。
近年のコンクリート二次製品の間知ブロック等とは違い、積む人によって雰囲気が大きく変わってしまう。それが難しくもあり魅力でもある。

石積みといえば城石垣を思い浮かべがちだが、もっと身近なところに石積みはたくさんある。近所の田舎道を車で走っていても、車窓から美しい石垣畦などをよく目にする。石を一つ一つ丹念に積んでいく作業を想像すると、途方もなく時間が掛かっているのだろうと思わせるものも少なくない。そこには、崩れないことこそが上手くて優れているのであって、決して見てくれや技法の誇示がない。それでいて、自然石が相手だから、積む人の意志次第で無限の可能性があり、その人らしさを表現してしまうのだと思う。

建築が工業製品の組み合わせで出来てしまうような時代に、石積みはつくり手の気持ちが伝わってくる数少ないもののひとつとして、建物にもっと取り入れていけたらと思う。

THE KAWABUN NAGOYA

画像


THE KAWABUN NAGOYA ようやく内覧会当日をむかえました。
計画を始めてから1年と4ヶ月。予期せぬ事態が満載の現場でしたが、
来館してくださる方の笑顔をみると少しほっとします。
このプロジェクトに携わってくださったみんなに心より感謝します。

という事で建築チームはとりあえず一段落。

写真はTHE KAWABUN NAGOYAの3Fバンケット。



七宝紋

画像


シーンデザイン一級建築士事務所の1月のtoppagePhoto

西洋の教会建築の壁画や、寺院の天井画のような特定の画家による装飾を除いて、建築に施される装飾タイルや左官は単純なパターンの連続であることが多い。

七宝紋もそのひとつだ。

この小さく単純でありながら無限につながりうる紋様は、人が把握できる細部と大きなスケールである建築とを見る者の意識レベルにおいて結びつけるものだと思っている。

ところで、七宝とは仏教用語で「金、銀、水晶、瑠璃(るり)、瑪瑙(めのう)、珊瑚、しゃこ」の七つの宝のことであるらしい。この形がなぜ七宝なのか分からないが、小さなデザインが大きなスケールにつながる様はマンダラの図像に似ている。

仏教では形というものはもともと存在しない。そしてマンダラとは、自分の心の中に無限に広がるひとつの場を示すものであり、魂という小宇宙の秩序をあらわしている。

七宝にたとえられたこの紋様が意味するのは、本当に素晴らしいものは煌びやかな宝石ではなく心の中にあるという世界観なのかもしれない。

てりとむくり

画像

「てり」とは「照り」で反りのことを表し、「むくり」は「起くり」で緩やかな起き上がりのことをいう。どちらも建築用語では屋根の形を言い表す言葉だ。

日本において「てり屋根」は神社仏閣・城郭などの大きな屋根でよく見かける。それに対して比較的小さな屋根は「むくり屋根」であることが多い。

そもそも日本の木造建築は中国大陸から技術が伝えられてきたが、中国大陸の歴史的建造物や伝統的な住居の屋根のほとんどが「てり屋根」であり「むくり屋根」はほとんど目にしない。つまり「むくり屋根」は日本独自の屋根といえるのだろう。

さて、この「てり」と「むくり」凹曲と凸曲、基本的に相反する性質が融合した形の屋根が日本で発明された。「唐破風」である。あの銭湯や和風旅館の正面についている屋根だ。「唐破風」に至っては世界中でこんな屋根をつくるのは日本人以外に知らない。

だから、いわゆる和漢折衷ともいえる日本人の造形感覚から生まれた「唐破風」は、近代においてもなお日本全国に現れた擬洋風建築に和の要素として使われ続けたのだと思う。

今では、居酒屋の玄関庇に飾りとして取り付けられたりする唐破風だけど、「てり」と「むくり」の融合という視点から眺めると唐破風も違った見え方がしてくる。
唐破風は、シルクロード終着点に相応しい、様々な文化の融合が試みられた日本独自の、日本が発明した世界に誇れるかっこいいデザインなのだ。

写真は、現在建設中のTHE KAWABUN NAGOYAのメインエントランス唐破風。

Top page photo 12Dec.2007

画像

瓦の歴史は4000年とも5000年とも言われている。建築を構成する生産部材としてこれ程までに長い歴史をもつものは無い。生産はその土地の土を使い、比較的簡単な技術と生産施設でまかなうことができる。主用途は屋根葺き材であるが、床に敷いても壁材として使用しても力強くそれでいて落ち着いた温もりをもつ表現となる。古瓦は造園の素材としても活用され、いつまでも捨て去られることはない。

そう、瓦がこれほどまでに長い歴史をもつ建材となりえたのは、瓦という物理的建材性能が優れていたという理由よりも、むしろ単純でサスティナブルな建築生産システムの発明が最大の要因だったのだと思う。

最近は、瓦の需要が極端に減っているようだ。相次ぐ大きな地震を経験して重量の大きい瓦屋根を避ける傾向にあるからだ。

でも、ぼくたちはもう一度よく考えなければいけない。
地場の瓦を使用することが持続可能な社会を構成する一部であったことを。近視眼的に耐震性能を高めることばかり気になって、大事なものを建築から切り離しているのではないかということを。

そうした意味において瓦は特異な建材だけれども、建築が人や社会から乖離した単なる「高性能な箱」とならないためにも、その存在を改めて検証し活用していくべきだと思う。

版築壁

画像

やきもののまち常滑にあるINAXライブミュージアムに行ってきた。
お目当ては、土・どろんこ館の版築壁。是非ともリアルに建ちあがった現代の版築壁を見てみたかったからだ。

もう6年も前の話になるけど以前勤めていた宮本忠長建築設計事務所で、コンペで勝ち取った島根県古代文化研究センターの計画も、同じ版築壁を外壁全てに施すというものだった。
そちらの方は県の財政難を理由に無期限凍結事業となってしまったが、当時担当者だった私は版築についてずいぶん研究や実験をして、実際にモックアップを製作したりして実施設計を終えた経験があり、版築壁にはかなりの思い入れがあったからだ。

現実の版築壁を前にその頃を思い出すと同時に、自分が実現できなかったという、ほんの少しの悔しさと、考えていたことが現実に出来たんだという嬉しさとで複雑な気持ちになった。でも実際に版築壁を見ることができて、なんとなく自分のなかで引っ掛かっていたものがとれたような思いがして本当に見に来て良かった。

画像

             古代文化研究センター計画外観パース

コラージュ

画像


常滑で見つけた木造3階建ての旅館「丸久」のファサード。

これはまさに断片の集積という最も単純かつ独創性のある“コラージュ”という手法。

“近代主義の「均質性の統合」に対して「コラージュの統合」を図る”とかなんとか難しい理屈はそっちのけで「面白いものは面白いじゃん」とやってのけている様が親近感を感じさせる。

これぞ和風スパイラル(たとえ古っ。)
ちなみに下の写真が槇文彦によるスパイラルのファサード。

画像